雑記1

 僕は大学で経済学の特に理論を勉強しているけれど、実証にも興味あるし、さまざまな経済の考え方に興味ある方の人だと思う。まあ面白ければいいと思っているし、1つの考え方にこだわりすぎるのもちょっと健全とはいえない。もちろん1つの考え方をつくすことで何かの境地にたどりつけるという考えもあるかもしれないが、不寛容と拘りは時間の制約はあるにせよ真っ向から対立するものでもないだろう。

 

 役に立つとか、立たないとか至極些細な問題だと思っていて、勉強が面白いのは、やはりその自由の中にあると思ってる。自由としておけば、自ずと知識が自分の知らないうちに融合して広い捉え方ができるようになる。広く捉えられれば、周りの物事の成り行きがわかるようになる。

 

 ゲームもあつ森やポケモンやら色々やってきたけれど、そこにはパラメータ的な一定の限界がどうしてもあって、自由の限界に辿り着いて、不自由さを感じてやがて飽きる。ゲーム側は最近オンラインでその制約(新しいキャラとか)を定期的に更新することでユーザーを飽きさせないようにするけれど、ゲームの情報ストックと知識のストック、またはそれらのフローの量を比較すれば知識の方がまさるのが当然だろう。

 

 だったらなんで、ゲームみたいにだらだらしたいんだろう...。つい時間を浪費してるんよなあ。どっちもやりだしたら止まらんのに。